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      (あきよしどう と あきよしだい でしょ??)

とにかく食いっぱぐれる!

きちきちに予定を詰め込む故に、昼食夕食にありつけないことが多い。そんな時、とにかくありがたいのが、名物かつお弁当であること!!
国道187号線沿い、傍示ヶ峠に突如現る戦国時代。
道路手前が一燈銭(いっとうせん)、奥が山賊砦(さんぞくとりで)

いろり山賊 錦店
営業時間 10〜22時
山口県岩国市錦町大野870
0827−72−2393
http://www.irori-sanzoku.co.jp/


山賊弁当 1155円(税込)
名物は皇牛(すめらぎぎゅう)のいろり焼き 1785円〜
巨大おにぎりの四つ角にはそれぞれ異なる具が。
ラップに包まれているのが肉類。串焼き牛肉2本、その下に山賊焼き(骨付き鶏肉)


秋芳洞(あきよしどう)


石灰が混じっているので白くにごってる。
美祢市(みね)は世界ジオパーク認定を目指して頑張っている
ラムサール条約に登録!!

2005年11月、第9回ラムサール締約国会議で秋吉洞の地下水が正式に登録される。
ラムサール条約とは国際的に重要な基準を満たした湿地が登録されるもので、イランのカスピ海湖畔の都市、ラムサールにちなんでいるそう。
なんと日本のラムサール条約登録件数は33ヶ所!
琵琶湖や阿寒湖、尾瀬なども登録されている。

百枚皿 通年17度ほど。コートを着ていると若干暑い。
映画「八つ墓村」(1977年)のロケ地ともなった。

1cm成長するのに40〜70年かかるといわれている鍾乳石


もはや写真の上下がわからなくなってきた・・・



くらげの滝のぼり

名前は一般公募かしら?
黄金柱
人選に注意し、写真はお願いすること。
全景こみの人物ありを撮るにはテクニックが必要な場所。


入場料 大人1200円
冒険コース、闇のロマン探検などもある




お土産コーナー



「できればあの紙袋に入れて欲しいんですけど〜」
とごぼうそばを買った際にリクエスト。

「ごぼうそばでは無理ですね」

なにっ!?

「どのお土産があの紙袋に、、、?」
740円の紙袋

と、言うわけで紙袋が欲しくて買った
梨あん餅740円(8個入り)
ほんのり甘酸っぱい白あん風。
なんだかんだで美味しかった。安富屋のオリジナル商品



テレビ石



正式にはウレックス石と言い、細長い結晶が平行に
連結して柱状になっている。
その為、光の屈折により下の文字が浮かび上がって
見えるという。
テレビと同じ仕組みということでテレビ石なのだ。
鍾乳洞や洞窟が観光地になっているお土産街には大体ある
この石。
買う人いるのかな?ランキング、ベスト10の中に入るだろう。

丸いテレビ石 300円
四角テレビ石 500円


やんや〜秋吉台
(どうした!?あきよしだい)
秋芳洞の原点となるカルスト台地を観に行こう!

山焼きのあと
毎年2月、第3日曜日に行われる山焼き


荒野より


秋芳洞から車でわずか5分にも関わらず、この観光客のいないっぷりったらない。

すれ違ったのは、ケンカしてるカップル1組。
この荒んだ風景がケンカの原因?
そんなことない!
四季折々の景色があり春には鳥のさえずりだって聴こえる〜
らしい。

美祢市は秋吉台を見捨てたのか??
その問題がなんとなく明らかになる・・・・



わたくし石ではございません。


草原からボッコボコ突き出てる石の正体はサンゴ!
約3億5千万年よりもっと前、ここは海だった。



守られたカルスト台地

終戦後、アメリカ軍の空爆演習場になりそうだったのを
市民や世界中の研究者が反対!
その努力があったからこそ守られ、教科書にも登場する
カルスト台地なのだ。


秋吉台科学博物館
秋吉台の歴史や自然をもっと詳しく勉強したい方は是非。

入場無料
秋吉台展望台より徒歩3分 道路挟んで向かいぐらいにあり
http://www.ymg.urban.ne.jp/home/akihaku/



なぜ秋芳洞と秋吉台の「よし」の漢字が違う?

秋吉台の「吉」は旧村名の秋吉村が由来。
秋芳洞は昭和天皇が命名。
「吉」より「芳」の方がおめでたい、ということらしいが・・・
真相やいかに・・・・
と、いうわけで・・・
山口県庁観光課に問い合わせてみた。そして美祢市観光総務課から返答を頂くことに。

時は大正15年、昭和天皇が東宮殿下の御時。当時、「秋吉の瀧穴」と呼ばれていた秋芳洞に御来洞された。その際、殿下の思召しにより「あきよし洞」との命名を受けることに。
その知らせを当時の山口県知事が山口県に電報で通報する。しかし、その電報ではひらがなで「あきよし」と記載されており、念のため「秋吉?」と知事に確認したところ、「あきよしのよしは『芳』なり」と返電。そして秋芳洞が誕生したのだ。ところが、山口には秋芳(しゅうほう)という地名があるため、当初は「しゅうほう洞」と呼ばれることも多かった。
そこで、昭和38年に宮内庁に改めて読み方を確認したところ、
「あきよしどう」との返答。それから現在まで定着している。


結局、「めでたいから」という真相は掴めなかったが、美祢市側もあまり把握してない感が若干あった。

市町村合併問題からうまれた闇・・・


「よし」問題を調べてるついでにわかったことは、市町村合併時、市の名前をめぐり秋吉台市と美祢市が争っていたということだ。投票の結果は秋吉台市の圧勝。しかし、これには秋吉台市側の裏操作があったのでは?と協議は中止。
そして、2008年再協議が行われ「美祢市」で本決定となった。
そんなこんなの因縁が秋吉台の観光事業振興に響き、現在のような姿になっているのではないだろうか・・・



廃墟 秋吉台グランドホテル 斜め右に見える白い建物

山陽新幹線の失速か・・・



昭和50年代には年間200万人もの観光客が訪れていた。
修学旅行生で賑わったであろう、カルスト台地よ・・・
そして、夜の告白タイム!で多くの中高生をどきどきさせた、
秋吉台グランドホテルよ・・・1999年ついに廃業へ・・・
今もなお、繁栄期を思い出に廃墟として佇み続けている・・・





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